種子法(主要農作物種子法)」といわれても、ピンとこない人が多いかもしれない。一般にはあまり知られていないが、戦後の日本で、コメや大豆、麦などの種子の安定供給を支えてきた法律だ。この法律が突如、廃止されることになった。今年2月に廃止法が閣議決定され、4月には可決、成立。種子法は来年4月1日に廃止される。なぜ廃止されたのか。私たちの食や農業は大丈夫なのか。ご自身も採種農家の生まれという龍谷大学経済学部教授・西川芳昭さんに聞いた。
コメや麦の安定供給を縁の下で支えてきた「種子法」
――今回、突然廃止されることが決まった種子法(主要農作物種子法)ですが、そもそもどんな法律なのか教えてください。
西川 専門的な法律なので、名前も聞いたことがないという人が多いでしょう。種子法は、コメや麦、大豆といった主要作物について、優良な種子の安定的な生産と普及を“国が果たすべき役割”と定めている法律です。種子の生産自体は、都道府県のJAや普及センターなどが担っていますが、地域に合った良質な種子が農家に行き渡るように、種子法の下、農業試験場の運営などに必要な予算の手当などは国が責任を持って担ってきたのです。
種子法が制定されたのは1952年5月。注目したいのは、第2次大戦終結のためのサンフランシスコ講和条約が発効された翌月というタイミングです。戦中から戦後にかけて食糧難の時代を経験した日本が、「食料を確保するためには種子が大事」と、主権を取り戻すのとほぼ同時に取り組んだのがこの種子法の制定でした。私はそこに、“二度と国民を飢えさせない”“国民に食料を供給する責任を負う”という国の明確な意思があったと考えます。
――そんなに重要な意味をもった法律が、なぜ突然廃止されることになったのでしょう?
西川 政府や農水省は、「国が管理するしくみが民間の品種開発意欲を阻害しているから」と説明しています。種子の生産コストが国の財源でまかなわれているなど、今の制度では都道府県と民間企業との競争条件が対等ではないというのです。
TPP(環太平洋パートナーシップ協定)やRCEP(東アジア地域包括的経済連携)などグローバル化を推し進めるなかで、企業の活動を阻害するような規制を緩和する措置の一環という見方もあります。これまでも種子法は民間の参入を禁じていたわけではありませんが、種子法をなくしてハードルをさらに下げることで、民間企業、とくに外国企業の参入を積極的に進めようという思惑があるのではないでしょうか。
種子が値上がりし、食品価格に転嫁される懸念も
――種子法の廃止によって、日本のコメや麦などの種子を巡る状況はどう変化していくのでしょうか?
西川 まず、種子の生産・普及事業にかかる費用が、将来的に国から出なくなるのではという懸念があります。今回、種子法廃止後も、従来通りに都道府県の種子生産に予算が確保されるよう国に求める付帯決議が採択されました。このこと自体は評価できますし、これまで種子生産に取り組んできた米どころの行政担当者は種子の生産を継続する意欲を示していますが、予算の“根拠”となっていた種子法がなくなることの影響は未知数です。
コメや麦の種子を巡る状況がすぐに大きく変わるということは恐らくないと思いますが、万が一、公的資金のサポートがなくなれば、将来的に生産コストが上乗せされて種子の価格が跳ね上がり、食べ物の価格に影響が出るかもしれません。また、都道府県が種子事業から撤退し、民間企業による種子の私有化が進むことも起こり得ます。
――種子の私有化というのはどういうことですか?
西川 種子法のベースにあったのは、新しい品種をつくるために素材となる品種=遺伝資源は、国や都道府県が“公共の資産”として持つという考え方です。これが民間に委ねられた場合、遺伝資源を基にして改良された新品種について、改良部分だけでなく種子全体に特許をかけ企業がその所有権を主張するということも起きかねません。ロイヤリティ(特許料)を払わなければその種子が使えなくなる。遺伝資源が企業に囲い込まれてしまう。これは「種子の私有化」を意味します。
すでに民間が主体となっている野菜などの作物では、圧倒的な技術力と資本を持つ数社の多国籍企業が、中小の種苗会社を次々に買収し、世界中にシェアを拡大しています。今スーパーなどで販売されている野菜の多くも、そうした多国籍企業の種子によるものなのです。種子法がなくなることで、公的に支えられてきたコメや麦などの主要作物の開発についても、効率や経済性の追求に傾いていかないか心配されます。
もともと種子というのは自然のなかにあったもので、人間との関わりでいえば、どんな新しい品種もその基になる種子は数万年の歴史の中で先人たちが積み重ねてきた改良の賜です。そうした本来は公のものである、もっと言うと、“誰のものでもない”種子を、特定の誰かが所有していいものなのか。しかも、人が生きていくのに必要な食べ物の種子が一部の企業に独占されるのを許してしまうことに私は違和感を禁じ得ません。
利益優先の民間で、種子の多様性が保てるか
――農水省は、種子法廃止によって多様なニーズに対応する品種が開発されると言っていますが、この点についてはどう考えますか。
西川 農水省のいう多様なニーズとは、ビタミンAを強化したコメとか花粉症緩和米といった、ピンポイントの機能性のことを指しているのだと思います。たしかに機能面での付加価値という意味では、いろいろなコメが出てくるかもしれません。
一方で、種をつないでいくという営みの主体が利益優先の民間企業に移ったら、種子の開発は「できるだけ同じものを効率的に広めていく」という方向になっていくでしょう。日本では現在300品種近くのコメが作られていますが、民間企業が300品種の種子を取り続けるというのは、コスト的にも手間的にも現実的ではありません。
例えば、愛知県の中山間地で栽培されているミネアサヒという大変食味のよいコメがあります。三河地方以外ではほとんど流通せず、いわば“まぼろしのコメ”として地域振興の資源となっているのですが、こうした地域品種の種苗が供給され続けてきたのも公的な制度や予算の基盤があったからこそ。ミネアサヒのように特徴はあるけれど小規模にしか栽培されていない品種は、種子法廃止によって将来的に消滅してしまうことも考えられます。
地域特有の気候や風土のなかで育まれ、それぞれの土地の食文化を支えてきた多様性は、大きく損なわれてしまう可能性がありますね。画一的な種子ばかりになってしまうことで、害虫や病原菌、異常気象などの影響も一律に受けやすくなることが心配です。消費者の側から見ても、食の選択肢が減るのは、暮らしの豊かさ、社会としての豊かさを失うことに等しいのではないでしょうか。
「何を作るか」「何を食べるか」――選ぶのは私たち
――この先、“公共のもの”としての種子を守り、食料を安定的に確保していくためにはどうしたらいいのでしょうか。
西川 消費者にとっては「何を食べるのか」を、農家にとっては「何を作るのか」を、自分で選んで決めていく権利を“食料主権”といいます。種子ビジネスが一部の多国籍企業に独占されている現状では、農家は企業が売りたい、作らせたいと思う種子を購入せざるを得ず、その結果、消費者の食べたいものを選ぶ権利も狭められてしまっています。
一方、世界各地では、こうした巨大資本による種子の囲い込みに対抗し、自分たちの食料主権を守っていこうという市民や農民によるムーブメントも起こっています。最初に食料主権の考え方を提起した世界的な農民組織「ヴィア・カンペシーナ」は、地域の特性や自然の持続性を損なわないような農業を取り戻す活動の一環として在来種子の保存にも取り組み、FAO(国連食糧農業機関)に対して、小規模農家が食料生産の重要な部分を担っていることに基づいて様々な提言を行っています。
日本でも、約5000点の種子を保管している広島県農業ジーンバンクが、「種子の貸し出し事業」を実施し、一度は作られなくなった作物を地域の特産品として復活させています。ほかにも、固定種として農家が自家採種を続けてきたカブ「清内路あかね」から品質の揃ったF1品種を作り、民間種苗会社の協力を得て種子を供給している長野県の例や、大分県の大手焼酎メーカーが、地元の農業試験場が開発した大麦を上乗せ価格で買い取り商品化している事例もあります。
清内路あかねを使った伝統的な深漬けの漬物(左)と、種取り用に冬越しをさせる清内路あかね(写真提供=西川芳昭)
コメや麦のような主要作物と野菜とでは、種子を管理する仕組みが異なるので同列に語ることはできませんが、このように、さまざまな立場の人たちが地域に見合った品種の開発に関わり、付加価値のある商品を作り、その付加価値をまた地域に還元しようとしている。そうした循環が各地に見られることが希望ですね。
「種子が消えれば食べ物も消える。そして君も」
――私たちが消費者としてできることはありますか?
西川 まずは、一人ひとりが、自らに与えられている“食料主権”を意識して、自分が口にする食べものに、これまで以上に関心を払うことでしょうか。誰がどこでどういう想いで作っているのかがわかる食材を選ぶこと。そして、できるだけ地域で大切に育まれてきた種子を使った食べものを選ぶこと。台所で、食卓で作物の生産者や産地への想像力を働かせてみることが大切だと思います。
私の生家は、奈良で玉ねぎと緑肥用のレンゲの種苗商を営んでいました。昭和40年代になって、野菜の種取りが一気に海外に移行してしまい廃業せざるを得なかったのですが、子どものころからタネのにおいのなかで育ち、タネを取り巻く状況の変化を肌で感じてきました。
「種子が消えれば食べ物も消える。そして君も」――これは国際的な種子貯蔵庫の創設に尽力されたスウェーデンの研究者ベント・スコウマン氏のメッセージです。人間は、食料のすべてを直接あるいは間接的に植物に依存している。つまり、種子によって生かされているのです。
種子法が突然廃止されたことは大きな衝撃ですが、これを機に種子の大切さを改めて認識し、種子にどう関わっていくことが望ましいのかを考えてみたいですね。プランターでもいいから、何か育ててみるのもおすすめです。種子が命の源であることを、きっと実感できると思いますよ。
龍谷大学経済学部教授。1960年奈良県生まれ。京都大学農学部卒業後、バーミンガム大学大学院植物遺伝資源および開発行政専攻修了。国際協力機構、農林水産省、名古屋大学大学院教授などを経て現職。専門は農業・農村開発、農業・資源経済学。主要作物種子法廃止法案においては、参議院農林水産委員会で行われた審議に野党側参考人として招聘された。『奪われる種子・守られる種子』(創成社)、『種から種へつなぐ』(創森社)など編著書多数。
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